コロナでの自粛があったり、昨年は急用が発生したりで5年ぶりに猿江神社での奉納演武に参加することが出来ました。猿江神社は私が初めて関口流抜刀術の演武をさせていただいたこともあり感慨深い神社です。本番でうまく抜刀できなくてとても悔しい思いもしました。稽古不足であることは充分に認識していましたが、それでも思い切って演武台に上がったことは今でも本当に良かったと思っています。本番の緊張感が普段の稽古とは違う経験をもたらしてくれるからです。それからの私はお誘いいただいた演武会は積極的に出させていただきました。それが上達への近道であるという確信があったからです。
自分の形の悪いクセは演武会で100%出てしまいます。これを客観的に発見して、修正していく。わかっていてもなかなか治らないのものなのですが、そこに稽古の意味があります。ひとつ修正できると、今まで気がついていなかった悪いところが新たに出てきてしまう。薄くてもステップを上がると、そのステップでしか気付けない課題が出てくるので不思議なものです。

山田師匠も<演武は間違いなく修行である>とおっしゃってました。上達したいという思いがあるのであれば、普段の稽古はもちろんですが、演武会に出て人前にそのときのベストを晒す経験をたくさんすることだと思います。古武術はその成り立ちから、そもそも人前に露出するものではないのですが、神前に奉ずる奉納演武という形式で日々の稽古の凝縮を置かせていただき、その技をその時点での己の到達点として素直に受け入れることで前進していけると思っています。







